• 大学生が企業をする時代
  • 東大生や現役大学院生がもうすでに「競争社会に疲れている」
  • 20歳、30歳、40歳と生まれてきた年代が違っても関係ない

コロナ禍になった2020年。

この先もまだまだ企業の倒産、リストラが続くことは多くの人が危惧している。

パート、バイト等非正規雇用者の悲鳴

正社員の中堅、現役管理職、役職者が早期退職のリストに加わる

こんな時代に自分の意見も言えず、ただ黙って従う事しかできない世の中。

よく考えたら、戦後の日本経済が50年60年先まで想像していなかったのかもしれない。

その中でデジタル化や急速にネットワーク社会が構築されたことで資本の流れも変わった。

もうバブルの時代なんて関係ないし、年功序列なんて最も古い考え方と言わざるを得ない。

実力主義、結果主義、成果主義。

この3つのキーワードこそが、この時代に生き残る術になっている。

では実力とは何か?

この答えに対して、ただ目の前の仕事や人間関係に神経を擦り減らす人たちがいる。

これでは、いつか自分の精神又は肉体が疲弊する。

競争に勝つか負けるかだけしか見えていない状態では、周囲を取り巻いている環境に順応することはできない。

どんな人生を送りたいのか?

子供の頃に何を教えられてきたのだろうか?

  • 生きる事は従うこと
  • 自立と言いながらも共存を強いる
  • 個性の見極めよりも周囲とのバランス

どこまでも働く世代の世界を覆い隠すような教育が広がっているように思えてならない。

「疲れた」の意味

体力勝負?肉体的な疲労?精神的なダメージ?

現代社会では、精神的な疾病を患うことで社会復帰が困難な人が増加している。

肉体的には元気でも精神がついてこない、やる気が出ない、会社、仕事に行きたくない等の悲鳴が聞こえる。

しかし、実際には家族や友人、上司、同僚、部下にも口に出して他人に言えない。

自分一人で抱えてしまい、結果として人間としての生きがいを見失う。

こんなことを大人になってから言うのは恥ずかしいことだと誰もが心の中で勝手に結論を出している。

これは正直もっと表に出して言語化するべきだと私は思ってしまう。

どんな学生だったのか?

就職試験を受けていた頃の自分を思い出せるでしょうか?

まだ初々しい世の中の汚い部分も全く知らない頃の自分。

ダメ学生の集まりのような集団に属して仲間の数や大きさにばかり安心をしていた自分。

親への反発や就職以外の道(中退、内定辞退、失踪、留年)など経験してきた過去。

こんな自分がいつもみんながどうしているのかを気にしている。

いつも自分と自分以外という比較ばかりをしてきたという人は多い。

でも、その当時には自分は自分の意思でやりたいことをやると決めていたはず。

  • 自分とあいつは違う
  • 私はあの子と同じにはならない
  • 比べられる対象になりたくない

こんな気持ちを純粋に心に抱いていたはず。

その気持ちが社会に出たら、たった5人程度の規模の中小零細企業でも上司、同僚、部下という縛られた空間で不自由な生活を送る。

毎回毎回同じことを怒られて仕事が始まってからは肩身の狭い1人の時間で作業を行う。

こんな自分に何を思っているのだろう。

一流、二流、零細という分類

エリート、一流、首席等賞賛の言葉だけが評価の対象になる。

一方で学歴なし、資格なしの人は誰からも相手にされない。

本当にそうだろうか?

中卒、高卒、中退なんて学歴がやけに目に付く。でもそんなことよりも本当に必要なのは人を大切にする心ではないでしょうか?

全てのビジネスは人が相手。

企業同士でも個人を相手にするのも同じ。その相手に対し、なぜ自分を過去でしか語れない?

こう思うことができればまだまだ自分の可能性を見つけ出すことができる。

 

コロナ禍の新しい生き方

 

自分らしく生きる事は、自らを病にしない効果も期待されている。

「病は気から」

精神が健全なら、肉体も健全になる。

筋肉も一定の運動を行う事で精神を鍛える事につながる。

学生の頃は当たり前のように重たいバッグを背負いながら、毎日通学を徒歩で行っていた。

それが社会に出るようになって、車を使うようになれば、体力も使わない。

自らで衰える行動をしているのに誰も何も疑問にも感じない。

その生活を毎日繰り返して10年、20年経過して食欲に負けて、中年太りに悩んでいる。

こんなのはただの堕落でしかない。

もう一度自分自身を見つめ直す

  • 何をしてきた?
  • 何ができた?
  • 何に情熱を燃やしていた?
  • 何に劣等感を抱いていた?
  • 何に対して疑問を抱いていた?

全てが自分自身だったh図。

正解のない疑問を延々と考え続けてきたのだと思う。

でもそれを延々と続けることが人生なんだと思う。

答えなんて最後に自分が死ぬ間際に、生きていて良かったと思えたら正解だったということだ。

この時、自分が何も感じられない抜け殻になっていたら、親から一流企業に就職しなさいと言われて就活を頑張った自分も無意味になる。

仕事がない事に悲観的になるな

エントリーシートに頭を悩ませて入社したら1年で退職。

でもまた自分が社会に復帰したくて再就職。

この時点でまだ自分が何と競争しているのかを見えていない。

自分は、何のために生きているのかわからなくなっていく人生はおかしい。

だったら自分一人で仕事を始めることも可能な人生だ。

フランチャイズでノウハウを学ぶのもいい。

自分で街を歩いて、何があったら便利なのかを考えて、ネットで同じ意見の人を探すのも良い。

クラウドファンディングを利用して事業を起こすことも別に特別なことではない。

12歳が起業をしている時代だ。

狭い共存社会に依存して生きている自分になぜ気付かない?

リクルートスーツを着ることに疲れたなら辞めればいい。

世の中のすべての人が同じ生き方をしているわけではない。

スーツを着ずに常にカジュアルシャツとデニムでオフィスワークで過ごす人もたくさんいる。

まだまだ世の中には出来ることが何でもある。

「いやだ」と自分が感じているなら、その自分が何を目指すべきかを探すべきではないだろうか?

負け犬?社会不適合者?それがどうした?

人生が終わったという言葉をコロナ禍でよく目にするようになった。

でもこれは正直言って、たどり着くべき時だったと私は伝えたい。

でもこれは失敗とか挫折とは違うんですよね。

ある意味、本当の意味での人生のリセットタイム。

競争社会を降りて、自分の中にある本当の生きる意味や価値を見つけるためのスイッチが入った瞬間。

それまではただ社会という波に飲み込まれるのを待っていただけ。

でもどこの業界にも正解なんて存在しない。

結局は、上の指示、方針、株主の意向が最優先となっていく。

それがいくら暴挙だとか理不尽だと思う事でも黙って受け入れるしかないのが社会。

だとしたら、その勝者は何を目指しているのか?要するに自分の安定と安泰の2つしかないのではないか?

労働とは何か?

会社員、サラリーマン、呼び名はどうでもいい。

労働基準法という中で管理されているのが会社員だ。

では労働とはそもそも何か?

この答えは、体力又は、知力を使って働くこととなっている。

だとしたら、あなたはどちらに属しているのか?

「他人と競争しない」「正解を追求しない」

こう考えたら、自分の労働はどちらのほうが向いているのかをよく考えてみたほうが良い。

 

自分の生きざまを考える

親を見て、あっちの世界には足を踏み入れたくないという感情を持っただろうか?

それとも、同じ世界で頑張りたいと思えただろうか?

この意識を自分の子どもにどう持ってほしい?

家族愛を忘れた現代の家庭

  • 仕事を辞めたいと親に言えない子ども。
  • リストラされて子どもの教育費が支払えない親
  • ニートや働かない人生で引きこもりの子どもの面倒を見る親

結局自分が作り上げた人間社会ですら、簡単に育児放棄や殺人等が起こってしまう。

こんな世の中であなたは今何を子供に伝えたい?

私はよくこう子どもたちに伝えている。

「自分よりも何か優れた人と一緒にいなさい」

「自分が一番でいる環境は居場所ではない」

常に自分が下である事を認識できるほうがやる気が出る。

これは一種の競争のように見えるが、少し思考を変えると、生き方の観察になる。

あの人はあれが出来るけどこれが苦手。

では、あの人に勝つには何を努力するべきか?

このように個性の活かし方を考える事の方が大事であると私は伝えている。

人に帰る時代が来た

順位?点数?評価?

そんなことに縛られるくらいなら、周囲を納得させるスキルを何でも良いから1つ身に付ける方が簡単。

別に難しいことでなくても良い。

田舎に行けば行くほどまだパソコンですら扱えない人はたくさんいる。

自分の周りであなたにとっては当たり前に感じることを困っている人はたくさんいるのではないでしょうか?

人に目を向けて、愛情を養う。

たったこれだけであなたの人生は競争から真の共存への道が開けるのではないでしょうか?

私はインターネットがあってこそ、この道を開くことができました。

そして、今は地域復興というキーワードを軸に地元の中小零細企業のインターネットでの集客や販売強化に知識とスキルを提供している。

あなたにも同じことはできる。

だって私にできたのだから。

別に特別な知識など必要はない。

問題はどこまで「人のために必死になれるか?」

自分本位のお金儲けの考え方を捨てることができれば人間はもっとシンプルに生きる道を見つけ出せると私は確信しています。